セルフバルコニー 大阪堺大仙稜古墳(仁徳天皇陵)
2021/03/10
昭和生まれの教科書では仁徳天皇陵ですが。。。
仁徳天皇陵として、最大の古墳として、前方後円墳の代表として、よく知られる古墳ですが、今の教科書では大仙稜古墳と教えられるそうです。仁徳天皇の稜か確定できないためですね。大阪初の世界遺産に登録されました。
仁徳天皇陵なのか、世界遺産登録への賛否など、意見がわかれてたりもしますね。なので、、自分の考えはここではおいておいて。。。
最近地形で歴史を考えるのが好きで、この位置にこの大きな古墳が建てられて意味などを考えてみました。
大阪と奈良の県境には生駒連峰、金剛連峰があります。高い山から民家のかまどから炊煙が上がっていないのを見て、税をとらなかったという話は実話にしろ逸話にしろ、生駒か金剛から大阪平野を見渡せたということなんだとおもいます。即位後すぐに難波高津に遷都したにしてもこの古墳は大和川付近、ちょうど生駒連峰と金剛連峰のつなぎ目に位置します。
当時おそらく大陸との交易が盛んであったとすれば瀬戸内海をへて大阪に入る。そのときにこの大きな古墳は大陸商人のどぎもを抜くものだったのではないでしょうか。おそらくそれを意識しての位置と大きさのような気がします。
いまは写真の通り、ん、、山?みたいにみえますよね。周りにビルが並びこの写真も7階の目線ですが、やはり航空写真でみるような古墳って感じにはみえません。でも当時はどうみえたんだろう。。って考えながら。